山本淑子

皆が幸せになれるケアを目指したい
福祉村病院総看護師長
やまもと・よしこ

山本淑子

福祉村病院は認知症治療に特化した病院です。1982年の開院以来、認知症が「痴呆症」と呼ばれ、今のように理解が進んでいなかった頃から、認知症患者さんのケアに力を入れてきました。そんな福祉村病院の歩みを看護の面から支えてきたのが山本総看護師長です。30年近く福祉村病院の第一線で活躍されている総看護師長に、福祉村病院のこれまでと、これからを語っていただきました。

まずは、福祉村病院で働き始めたきっかけを教えてください。

きっかけは出産です。もともと県内の別の病院で准看護師として働いていまして、出産後も仕事を続けたいと思っていました。そこで、自宅から通える場所にあって、子どもを預けながら働ける病院はないかと探したところ、見つけたのが福祉村病院だったんです。あの頃(1988年)、保育園を併設した病院はとても珍しく、そのうえ保育料が無料。これは非常に魅力的でしたし、ありがたかったですね。

ちなみに、保育園は今でも、医療法人さわらび会の職員であれば無料で子どもを預けられます。かつての私のように子どもを預けて働いている看護師も多く、産休取得後の退職者はゼロなんですよ。

午前中に全病棟をまわるのが山本総師長の日課。何か異変はないかなど様子をみながら、患者さん一人ひとりにお声がけします。

これまで会った患者さんのなかで、特に印象に残っている人はいますか?

10年以上前の話になりますが、ある日、19歳の女性が当院へ転院されてきました。その患者さんは、急性脳炎を発症した後、半年間意識がないままほぼ寝たきりだったそうで、当院に移ってからも、食事も排泄も自分でできない状態でした。記憶障害を主とした高次脳機能障害も発症されていて、診療した医師も「社会復帰は難しいかもしれない」と言うほどだったんです。

それでも、私たちはあきらめませんでした。「何とかしてあげたい。自立のお手伝いがしたい」という一心で、リハビリ部門のスタッフと協力しながら心身両面のリハビリを開始。すると、1年ほどで、食事も歩行も自力でできるようになったのです。また、言語療法と作業療法にも取り組み、精神活動も徐々に回復していきました。

その後、患者さんは福祉村内にあるリハビリ施設に入所され、今は何と、自宅からその施設に通勤して介護補助スタッフとして働いているんです。彼女の姿を見かけるたびに、回復されたことが嬉しくて、今でもつい涙ぐんでしまいます。

この患者さんのように、福祉村病院に入院された方が、症状や希望に合わせて、福祉村内の介護施設や老人ホームに移られるケースは珍しくありません。社会復帰は難しいかもと言われていた彼女が奇跡的な回復を遂げられたのは、ひとえに彼女の努力とご家族の支えの賜物ですが、医療、福祉、介護のスタッフが一貫したケアを提供できたことも、回復の一助になったのではないか、と感じています。

山本淑子(やまもと・よしこ)1961年6月27日生まれ。宮崎県延岡市出身。現在は総看護師長として後輩の育成に尽力。仕事で一番嬉しい瞬間は、「患者さんがふだんの生活に戻れたり、自分でできることが増えたのを見たとき」。

当時の忘れられない思い出はありますか?

山本理事長によく怒られていましたね(笑) 患者さんの靴下が脱げていたり、布団がちゃんとかかっていなかったりすると、それを見つけた理事長から「山本くーん!これじゃあ患者さんが寒いじゃないか。君は一体何を見ているの?」と叱られるんです。常に患者さんの立場に立って考え理事長の姿勢からは、本当にたくさんのことを学びました。

理事長の勧めで行ったヨーロッパでの看護研修も忘れられません。これは私にとって大きな転機となりました。当時、准看護師だった私は、一緒に研修に行った看護師の人たちの話についていけず、「このままじゃダメだ」と一念発起。もう一度看護学校へ行って、看護師の資格を取る決意をしたのです。

ただ、全日制に通うにしても、定時制に通うにしても、どちらにしても病院に迷惑をかけてしまうので、かなり悩みました。ところが、理事長に相談したら、「定時制に行きなさい」と快諾してくださったのです。海外での研修旅行に送り出してくれて、さらには定時制に通わせてくれた理事長の心遣いが、今の私をつくっているといっても過言ではありません。

福祉村病院の外来待合室にて。患者さん、スタッフはもちろん、患者さんのご家族との円滑なコミュニケーションも欠かせません。

最後に、今後の抱負をお聞かせください。

「福祉村」の「福祉」は、「幸せ」を意味していると思うんです。患者さんはもちろん、そのご家族やご友人、そして、それをサポートする私たちスタッフが幸せになれるケアを提供すること。それが「福祉」だと思っています。すべての人が納得できて、幸せになれるケアを提供するのは、簡単ではありません。けれど、だからといって妥協はしたくない。患者さん、ご家族・ご友人、スタッフそれぞれとディスカッションを重ねながら、すべての人が幸せになれるケアを、これからも目指していきたいと考えています。

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